■2019/4/2(火)
【経路】道の駅マイントピア別子
【天気】晴れ 【走行距離】88キロ

《前日の行程はこちらです》

寒い朝
かなり冷え込んだ朝です。朝から雪が舞っていました。

給電くんのボンネットにうっすら雪が・・。車内温度がなんと3度です。

愛媛県といえば、やはり松山城と道後温泉は外せない場所。ここから、約30キロ程度の場所にあります。
■松山城
https://www.matsuyamajo.jp/
愛媛県松山市丸之内1

■道後温泉
https://dogo.jp/
愛媛県松山市道後湯之町

松山は、以前家族旅行で行き、道後温泉に宿をとり松山城までの往復歩いたことがあります。もちろん松山城ではロープウェイも利用せずに坂道を歩きました。
道後温泉周辺には、正岡子規の博物館や公園があり、のんびり楽しむことができます。
今回は寄りませんが、松山城も道後温泉も一押しの観光地です。
道の駅マイントピア別子(べっし)
朝7時に出発し、国道33号線(三坂道路)で松山方面に向かいます。

この標識があったので、有料道路かと思いましたが、無料で通過できます。トンネルを2つ通過すると、国道440号線と合流し、くねくねとした下り坂になります。下り坂は松山市内を臨むことのできる景色がよい道ですが、運転には十分注意しなければなりません。
次に、国道11号線で新居浜市に向かい、最後に県道47号線を上ってきました。
9時半 道の駅マイントピア別子 に、到着です。
■道の駅マイントピア別子
https://besshi.com/
愛媛県新居浜市立川町707-3
マイントピア別子は、別子銅山の跡地に建設された、複合施設です。
温泉やキッズパーク、鉱山鉄道に乗っての鉱山観光ゾーンなどがあり、家族連れで楽しむことができます。温泉には、地元の方が多く来られているようでした。
別子銅山(べっしどうざん)は、愛媛県新居浜市の山麓部にあった銅山。1690年(元禄3年)に発見され、翌年から1973年(昭和48年)までの282年間に約70万トンの銅を産出し、日本の貿易や近代化に寄与した。一貫して住友家が経営し(閉山時は住友金属鉱山)、関連事業を興すことで発展を続け、住友が日本を代表する巨大財閥となる礎となった。
ウィキペディア
こちらの建物の中に、レストラン・温泉・キッズパークがあります。↓

展示コーナーでは、別子銅山の歴史ビデオを観ることができます。とても興味深く、なんと3回も観てしまいました。


建物から見た外の景色です。桜が満開です

屋外を散歩してみることにします。

駐車場から、川沿いの歩道を上流に向かって進みます。

川の対岸に見える赤レンガの建物は、旧端出場(きゅうはでば)水力発電所です。

旧端出場水力発電所は、明治45(1912)年運用開始。当時の最新鋭の設備であるドイツのシーメンス社製の発電機を使用。銅山越え南側の吉野川水系の銅山川の水を利用し、当時東洋一の597メートル落差の水圧鉄管を使用した。また、当時世界一と言われた20キロメートルの海底ケーブルにより四阪島製錬所まで送電を行っていた。出力3,000Kwは、当時国内の鉱山では最大級。その後出力を4,800Kwに増強し、昭和45(1970)年まで稼働し続け、別子銅山の歩みにおいて大きな役割をはたした。
新居浜市ホームページ




第四通洞の端出場坑口

大正4年(1915)完成の長さ4600mもある坑道です。
昭和5年(1930)、別子銅山の採鉱本部が東平から、この端出場へ移されたことにより重要ないちを占めるようになりました。端出場の坑口より深鉱通洞と併せ約10kmの水平坑道によって筏津坑の下方に通じており、採鉱された鉱石は各斜坑・立坑により、この坑道に直接搬出され、端出場を経由して星越へと運ばれました。
マウントピア別子ホームページ
この歩道を更に進むと、坑内観光列車の端出場駅があります。

散策後は、建物4Fの 別子温泉 天空の湯 へ。
ジェットバス、露天風呂、サウナ等があり、のんびり寛ぐことができます。
ジェットバスが気持ち良かったです。
《料金》
大人(高校生以上)…500円、小中学生…300円、3歳以上…200円

【トイレ情報】
きれいで清潔です。
女性用:洋 9 ウオシュレット 有 便座クリーナー 有、和1、、洗面台3
男性用:未確認
多目的用:有



道の駅マウントピア別子の駐車場は、400台も駐車できます。
普通車:381台、大型車:13台、身障者用:7台
週末には、観光バスが何台も来るようです。
【本日の出費】
項目 | 金額 | 備考 |
食料 | ||
外食 | ||
ガソリン | ||
入浴 | 1,000 | |
駐車場 | ||
その他 | ||
合計 | 1,000 |

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