古くは北国街道の宿場町として発展してきた信州小諸(こもろ)は、低地に千曲川が流れ、そして南側に御牧ケ原台地、北側に浅間山の山裾から標高2000mを超える山々に至るまで、変化に富んだ地形と豊かな自然の街です。そんな自然豊かな小諸市の中心にある「小諸城址 懐古園(かいこえん)」。
城郭が城下町よりも低い場所に位置する「穴城(あなじろ)」で、これは日本で唯一といわれています。
日本100名城、日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選にも選ばれており、歴史あるおごそかな雰囲気を持つ城跡です。春のさくら、秋の紅葉や東信菊花展と季節ごとにも楽しめます。
梅雨時のどんよりとした雲の厚い日ですが、千曲川旅情「小諸なる古城のほとり・・・」で有名な文豪島崎藤村ゆかりの地でもある「小諸城址懐古園」を散策しました。

大手門(国指定重要文化財)
小諸城の正門である大手門。がっちりとした構えになっています。


小諸城の正門(四の門)として、慶長17年(1612年)、藩主仙石秀久が小諸城を築いた時の建築。二層入母屋造りの楼門で、石垣と門が一体化してないことや、
案内板より
一階が敵の侵入を防ぐ強固な造りに対して、二階は居館形式をとっていることなど多くの特徴があります。
質実剛健な建築は、青森の弘前城とともに、大手門の双璧といわれています。装飾をはぶいた質実剛健な建築は、東日本を代表する大手門建築の一つです。
現在、2階は展示室となっています。

裏から見た大手門です。

無料で、2階の資料展示室を観ることができます。ただし、開館時期が限られていますのでご注意ください。
入場無料
開館日:4月第1土曜日~11月第2日曜日の土日祝と8月の平日
開館時間:10時~15時

残念ながら、今日は展示室が閉まっていました。
大手門から懐古園まで、徒歩3分程度です。
大手門公園駐車場の脇を通り、浅間山麓野草園の草花を見ながら地下道をくぐり懐古園へ向かいます。






三の門の前に出てきました。

地下道を使わず、小諸駅ロータリー側からエレベーター付きの陸橋を渡ってくることもできます。
三の門(国指定重要文化財)
大手門と同時期に藩主仙石秀久が建築。
1742年(寛保2年)千曲川流域を襲った「戌の満水(いぬのまんすい)」といわれる大洪水で、土石流により流失しましたが、1795年(明和2年)に再建されました。
寄棟造りの二層の渡り矢倉門(多聞矢倉門)です。
門の両側の白い塀には、敵に向かって鉄砲や矢で攻撃するために開けた丸・三角・四角の穴(狭間(さま))があります。


三の門の扁額「懐古園」の文字は、16代徳川家達公の書です。

重厚な扉です。


矢倉門の二階入り口にも、「懐古園」と書かれた扁額があります。
こちらは、小諸藩の太田道一 という人が書いています。扉には葵の紋がついているのが見えます。
現在、二階は立ち入り禁止となっています。


チケット売り場
三の門をくぐると、右側にチケット売り場があります。

●入園料(共通券)500円 小中学生200円
藤村記念館、小山敬三美術館、郷土博物館、徴古館、動物園、小諸義塾記念館
●散策券300円 小中学生100円
園内散策、動物園
休園日:12~3月中旬は水曜日定休、年末年始(12月29日~1月3日)
(※遊園地は12月1日〜3月中旬 休園)
開園時間:開園時間:9:00~17:00(動物園と遊園地を除く園内各施設共通)
動物園:平 日:9:30~16:30 休 日:9:00~16:30
遊園地:平 日:9:30~16:30 休 日:9:00~16:30
徴古館(ちょうこかん)
三の門の左側には徴古館があります。
江戸末期、明治時代の廃藩置県まで歴代小諸藩主や藩士らに伝わる文化財や甲冑、刀剣などの武具、古文書などが所蔵されています。
園内を散策せず、徴古館のみ入館したい場合
徴古館単独券 200円 小中学生100円

入園口~二の門跡
ここから、園内に入ります。

入園すると、二方向に道が分かれています。
右側の坂道を上って行くと、城址へ。
左側に行くと動物園です。小諸動物園は、1926年(大正15年)に開園し、長野県最古。小規模ですが歴史ある動物園です。

野面積(のづらづみ)といわれる自然のままの不揃いの石でできた苔むした石垣。
こんな雲の多い日は、より一層静寂感を感じます。

入口の坂を上った正面に、1893年(明治26年)小諸義塾を開設し、塾長をした木村熊二(きむらくまじ)のレリーフと二の門跡があります。
三の門から攻めてきた敵をくい止めやすくするために、二の門の手前で通りはⅬ字に曲がっているんですね。

木村熊二は、1893年(明治26年)小諸義塾を開設し、塾長をしていました。1899年(明治32年)、木村熊二の招請により、島崎藤村が英語と国語の教師として赴任しました。
小諸といえば島崎藤村といわれるようになったのは、木村熊二のおかげですね。

二の丸跡
二の丸跡石段の左側にある石垣の大きな石に若山牧水の歌が刻まれています。
歌人若山牧水は、明治43(1910)年の秋、療養のため数か月、旧小諸本陣の隣の田村病院に滞在していました。まだ若く、若山牧水26歳の時です。
「かたはらに 秋ぐさの花 かたるらく ほろびしものは なつかしきかな 牧水」
牧水26歳。小諸滞在中に作った歌です。

二の丸跡に上ってみます。

二の丸について:
小諸観光局ホームページより
慶長5年(1600年)天下分目の決戦「関ヶ原」に向かうべく、東軍の軍勢3万8千を率いて徳川秀忠が信州に入ると小諸城主・仙石秀久は、秀忠を小諸城の二の丸に本陣を構えお迎えしました。二の丸は、北西に西軍の真田昌幸・幸村の居城・上田城方面を見渡す場所です。
二の丸跡へ上ってみると桜の木が植えてあります。

二の丸跡から見た上田方面の景色です。
手前にあるのが懐古園駐車場。天気もいまいちということもありほとんど車は停まっていません。

黒門橋・黒門跡へ
二の門跡を背にして、直進します。

右側に北の丸跡。現在は弓道場になっています。

通りの左側には南の丸跡です。石段を上ったのですが、現在は何もありませんでした。

南の丸跡石段上からの風景です。アジサイがきれいに咲いています。

橋の手前に、控えめに懐古稲荷神社があります。懐古園を散策する際必ず通る場所にあるのですが、つい素通りしまいそうになります。
懐古稲荷神社は、藩主牧野公が1702年(元禄15年)、越後の与板藩から小諸藩に入封された際、ともに与板藩より遷座された歴史ある稲荷神社です。

比較的新しい黒門橋です。紅葉谷に架けられた橋です。
黒門橋は、当時そろばん橋であったといわれ、橋の下に車輪が取り付けてあり有時の際には場内に引き込み、敵の侵入を防ぐことができたそうです。

橋の下は、高さ8m程の空堀となっており紅葉谷と呼ばれています。名前通り秋になると木々の紅葉はとてもきれいです。数年前、NHKの朝のニュースで紹介されていたのをみたことがあります。

黒門橋を渡った場所にある、黒門跡。
黒門は、小諸城一の門です。現在、懐古園には黒門の礎石と付近の石垣のみ残っていますが、黒門は、小諸市八幡にある正眼院に移築され、山門として現在も残っています。

突当り左右の二手に分かれています。
まずは、懐古神社を参拝しますので、左方向へ進みます。

本丸跡に懐古神社が建っています。

鳥居をくぐり左側に手水舎があります。

手水舎の後方にあるのが懐古園の碑。題字は勝海舟の筆によるものです。


緑の木々の中にひっそりとたたずむ懐古神社です。

小諸城は明治4年(1871年)の廃藩置県で廃城となり、明治政府が民間に払い下げることになります。小諸城が荒廃していく様を憂いた小諸藩の元藩士らが資金を集め、小諸城三之門より城内を買い取りました。そして、本丸跡に祀ったのが懐古神社です。紅葉ヶ丘に城の鎮守神として祀られていた天満宮(菅原道真公・天神様)と火魂社(火之加具土命・荒神様)、及び、歴代の小諸藩主の霊が合祀されています。
小諸観光局ホームページ

懐古神社の右側から天守台跡に上れますが、進入禁止となっていました。

懐古神社の右側に置かれている鏡石。武田信玄の軍師・山本勘助が小諸城築城時に使用したと伝えられている石です。


社務所側からも天守台跡への通路がありますが、こちらも通行禁止となっていましたので、左側の石段を下ります。

富士見展望台
広い馬場から左方向に行くと、富士見展望台があります。
晴れていれば、富士山まで見ることができます。

日本一の山 富士山。皆、やはりまず富士山を探すんですね。
案内板の富士山の部分だけ、白く剥がれてしまっています。

今日は、遠くの山までは見ることができませんでした。

富士見展望台の横に、動物園への裏側の入り口があります。この橋を渡れば動物園です。
懐古園の散策券で入園することができます。


橋の上からみた風景ですが、かなり深い谷になっています。
富士見展望台側も動物園側も絶壁になっています。


小諸城は、この自然の絶壁に守られていたのですね。
馬場の桜
本日は、動物園には行かず、馬場に戻りました。
馬場は、かつて城内の武士が乗馬訓練などを行っていた場所ですので、とても広々としています。

懐古園は、日本さくらの名所100選です。
大正15年、造園の権威・本多静六博士の設計によって植栽されたソメイヨシノをはじめ、枝垂桜や八重桜など樹齢を重ねた桜の木が数百本あり、毎年、4月中旬から下旬にかけて桜祭りが行われています。


本日は、天守台に上ることができませんでしたが、下から見上げた天守台と松の木がとても素敵です。


馬場には、松の木もたくさん植えられています。

島崎藤村の碑
馬場の北西側に、島崎藤村の歌碑があります。

「千曲川旅情の歌」 小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ 緑なすはこべは萌えず 若草も藉(し)くによしなし ・・・

水の手展望台と水の手不明御門(あかずのごもん)跡
小諸城の裏側にある水の手展望台です。この周辺は崖になっており千曲川を見下ろせるとても見晴らしの良い場所にあります。

小諸城の本丸西の守りは、千曲川が深く削った谷で、天然の要害です。小諸城は、曲輪が直線的に並ぶ連郭式城郭で、背後はこの千曲川の断崖で守られる後ろ堅固の城でした。
眼下には、千曲川がゆったり流れています。
令和元年東日本台風(2019年10月 台風19号)では、小諸市の上流と下流で大きな被害がありました。

水の手展望台の左手側の下には、水の手不明門(みずのてあかずのもん)跡があります。

小諸城の背面にある城の裏門で、屋根の上は通路になってありその先端には見張りがいた曲輪(くるわ)があったそうです。
城内まで敵が攻め込んで来たとき、最後に、この門を出て眼下の千曲川に逃れることができたことから「水の手門」と呼ばれました。城内に敵が攻め込んでくることのないように祈願して「不明(あかず)の門」とも呼ばれました。

酔月橋周辺
馬場の北側にある酔月橋。深い谷に架けられています。
橋を渡った先には、鹿島神社・小山敬三美術館があります。

酔月橋の横に、草笛禅師 横山祖道(よこやまそどう)の草笛演奏機があります。
ボタンを押すと、横山さんが奏でたちょっと悲しげな草笛の音色が流れてきます。
横山祖道さんは、1958年(昭和33年)から22年間、当時竹藪があったこの場所に毎日おすわりになり、自らの悟りを深めるともに、訪れる老若男女に禅の心を伝えたり、葉っぱを口に当て音を奏で楽しませてくださっていました。

子供たちは横山祖道さんのことを「草笛おじさん」と呼んでいました。当時子供だった私も友達と懐古園に遊びに行くと、草笛おじさんのところに行き、草笛の吹き方を教わったことを思い出します。1980年に亡くなるまで毎日ここで過ごしていたとのことです。
島崎藤村記念館
記念館内には、小諸時代に書いた藤村直筆の「千曲川旅情のうた」「破戒」(第一章)の原稿や愛用した茶器などの生活用品等が展示されています。

島崎藤村は、1899年(明治32年)、恩師木村熊二の招請により、小諸義塾の英語と国語の教師として赴任。小諸で過ごした約6年間に「雲」「千曲川のスケッチ」「旧主人」などを執筆しました。また、長編小説「破壊」は1905(明治38)年、小諸時代の最後に起稿しました。


藤村記念館の近くに推定樹齢500年の欅(けやき)の木があります。幹の周り6.5mの大樹です。

藤村記念館から欅の木を見て、そのまま進むと、黒門橋に戻りますので、三の門まで同じ道を戻ります。
駐車場
懐古園周辺には有料駐車場と2時間まで無料の駐車場があります。

懐古園駐車場
懐古園内の駐車場です。
料金:普通車 12時間以内 500円


大手門公園駐車場
お薦め!
懐古園のみならずのみならず、旧北国街道沿いや小諸駅周辺を散策するのには便利で、料金もお得です。
住所:小諸市大手1丁目5−22

料金:普通車
2時間以内 無料
2時間を超え 3時間以内 100円
3時間を超え 4時間以内 200円
4時間を超え 5時間以内 300円
5時間を超え 6時間以内 400円
6時間を超え 24時間以内 500円
24時間を超え 48時間以内 1,000円
子供の頃小諸で過ごしましたが、改めて懐古園を訪れてみると知らなかった歴史や新たな景観が多くあることがわかりました。
もし天守閣が再建されたら更に素晴らしい場所になるだろうと思いました。
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