【小諸の布引観音】京都清水寺にも劣らない足がすくむ絶景

 

セミの声が響く、夏の暑い一日ですが、小諸市の観光名所の一つ、千曲川ほとりにある布引山の断崖に建つ布引観音に行ってきました。

登山かと思えるほど(と言っても歩いて20分程度)の参道を上った先には、とても素晴らしい景色が待っていました。

 

布引観音(ぬのびきかんのん)

布引観音の正式名称は、天台宗布引山釈尊寺です。信濃三十三観音霊場の第29番札所。

釈尊寺は、神亀元年(724年)の創建と伝えられています。戦国時代と江戸時代中期の二度にわたり焼失し、現在ある伽藍(がらん)の多くは、小諸城主牧野康明によって再建されたものです。

観音堂内にある「宮殿」は国の重要文化財に、また、「白山社社殿」は、長野県宝に指定されています。

「牛に引かれて善光寺参り」伝説発祥の地としても知られています。

布引山釈尊寺 案内板

 

拝観料はありません。無料です。

牛に引かれて善光寺参り

信濃四大伝説の一つ、「牛に引かれて善光寺参り」の話が記されています。

 

むかし、信心のうすい老婆が住んでおりました。この老婆が千曲川で布を晒(さら)しておりますと、どこからともなく一頭の牛が現れ、その布を角にかけて走り出しました。

老婆は、驚いて、野を越え、山を越え、牛の後を追いかけましたが、ふと気がついてみますと善光寺の境内まできておりました。老婆はやっとのことで牛に追いついたかと思ったのもつかの間、牛は金堂あたりで、突然姿を消してしまったではありませんか。

驚きと悲しみに疲れ果てた老婆は、あっけにとられてその場にたたずんでしまいました。 日が暮れる頃、どこからともなく一条の光明がさし、その霊光の尊さに思わずひざまづいて、菩薩心を起こし一夜を金堂にこもって罪悪を詫び、家に帰ってまいりました。

ある日のこと、ふと布引山を仰ぎ見ますと、岩角にあの布が吹き付けられているではありませんか。老婆は何とかして取り戻したいと思いましたが、断崖絶壁のことでとるすべもありません。

一心不乱に念じているうちに石と化してしまったと云うことです。この布引山の断崖には、今も白く布の形をした岩肌が眺められます。

布引観世音菩薩が、牛に化して信心のうすい老婆を、善行寺阿弥陀如来の許に導いて教化をしたのだそうです。

案内板より

※その後の話として老婆の子孫はみな善男善女なったとのことです。

 

「牛に引かれて善光寺参り」は、思ってもいなかったことや他人の誘いによって、良い方に導かれることの例えとして使われています。

 

参道・山道(さんどう)

正面に見える布引山です。これから布引渓谷と呼ばれる参道に向かいます。

布引山

 

「観世音堂道是ヨリ六丁」 と刻まれています。
一丁は、約109mなので、観音堂まで約654mってことですね。

参道

 

布引山観世音の石柱です。

脇の注意書きには、「自然の山中の寺です。落下物・滑落・転倒・ 等の不測の事態を予測し自己の責任にて御入山ください」と、書かれています。

それほどの、山道ということですね。

 

石段を上ったら、すぐに山道です。結構急な坂道を登っていきます。

最初の坂道

 

登りだして間もなくの場所に「一丁」と刻まれたお地蔵様です。 

一丁石像

 

山道脇の岩の下に、可愛らしい五体の木像です。岩屋になっているとはいえ、風雨にさらされる場所で、木彫り地蔵は珍しいと思います。

五体の木像

布引二段滝

参道の見どころの一つ「布引二段滝」です。水量は少なめですが、自然の中にひっそりと流れている感じがいいです。

布引二段滝

 

道のところどころで、お地蔵様が見守っています。

牛岩

 

牛岩」です。
左を向いている牛の横顔に見えます。

牛岩

 

 

「四丁」と刻まれたお地蔵様を発見。だいぶ上ってきました。
「二丁・三丁」は残念ながら気づきませんでした。

四丁石像

 

 

善光寺穴

 

善光寺穴
長野の善光寺まで穴が通じていると云われ、昔、善行寺火災の折にこの穴から煙が出たと伝えられる

案内板より
善光寺穴

 

不動滝

 

不動滝
岩上に不動尊が安置されていることから不動滝と名付けられている。ここから眺める観音堂もまた趣があり京都の清水寺を思い出される

案内板より

 

晴天が続いていたので、今日は水が流れていません。

 

案内板に従って観音堂方向を見上げると、木々が茂っていて観音堂の屋根の一部だけしか見えませんでした。
きっと晩秋から早春にかけてははっきり観音堂が見えるのでしょうね。

不動滝から見上げた観音堂

釈尊寺 仁王門

歴史を感じる立派な仁王門です。

これより先は立ち入り禁止となっていますが、奥には道があるようです。以前はこちらの仁王門をくぐり、境内または観音堂に行っていたのでしょうか。かなり険しい道だと想像できます。

山門

 

右側に風神と大きなわらじ

風神

 

 左側に雷神とこちらにも大きなわらじがあります。

雷神

 

仁王門と観音堂の2ショットです。山門の脇から観音堂の床下の柱がしっかり見えます。

山門と観音堂

 

観音堂の床下

仁王門を左手に見ながら、更に坂道を登ります。

釈尊寺境内

六個の小ぶりな灯篭の前を通り、石の門をくぐると、釈尊寺の境内です。
駐車場からここまで、写真を撮りながらのんびり歩いて約20分です。

 

観音堂へは、左方向に向かいます。

 

境内から見た布引観音堂です。断崖絶壁の岩に食い込むように建っています。

その昔、どうやってこのような場所に建てたのか・・・。すごいとした云いようがありません。本当に絵になる景色です。

 

境内から見た観音堂

 

布引山 釈尊寺の本堂です。

本堂

 

境内には、木彫りの像や石像がいくつも祀られています。

 

「奉納 幻牛伝説(ゆめでんせつ)」

幻牛伝説

とても古いお堂があります。

横から見ると、後部の岩と一体化しています。

 

観音堂へは、更に上って行きます。

観音堂への道

 

白山社社殿(長野県宝)です。

白山社社殿

白山社社殿
室町時代初期の建築で当時の様式を伝える数少ない貴重な建築物である。
もとは御牧原の白山地籍にあった。ここからこの名がついた。

案内板より

 

石のトンネルの手前、岩屋にお堂がありました。
こちらもかなり古い建物です。

 

岩をくりぬたトンネルです。トンネルの高さは180センチくらいあるかと思いますが、腰をかがめながら通過します。

岩のトンネル

 

トンネルを抜けると、六地蔵と二体の石像が、岩陰に鎮座しています。

六地蔵

 

岩の中に立つ赤いお堂。扁額には「愛染明王」と書かれています。

愛染明王

 

布引観音堂

やっと布引観音堂に辿りつきました。

観音堂入り口

 

 釈尊寺は、戦国時代と江戸時代中期に戦火により焼失し、江戸時代末期に小諸藩主牧野康明により再建されたのですが、宮殿は岩屋の中にあったため、焼失を免れ、鎌倉時代の姿を現在まで残しています。

 

格子の奥が重要文化財の宮殿です。内には、観音様や仏像が鎮座しています。

宮殿

 

懸造(かけづくり)の観音堂。恐る恐る正面の手すりまで進みましたが、怖くて真下は見ることができません。

観音堂内

手すりの少し手前から山中の景色を眺めることができました。緑で覆われ、真夏の暑さを忘れられるような気持ちよい景色です。

正面に見えるのが釈尊寺境内。下に見えるのが、先ほど通ってきた仁王門の屋根です。

観音堂からの景色

 

駐車場から登り始めて、約30分の登山?でしたが、頑張って登ってきた甲斐がありました。道中、見どころも多数あり、管理されすぎている寺院より、ありのままの自然の中に存在している釈尊寺・布引観音は魅力満点のお寺でした。小諸市の宝、いや日本の宝ですね。

駐車場

参道前の無料駐車場には、普通車7・8台の駐車スペースがあります。

駐車場

【駐車料金】無料  駐車場より徒歩20分参道を登ります。
【交通】小諸駅より車で10分
【駐車場所在地】長野県小諸市大久保

 

石がごろごろした山道を歩くためサンダル履きは危険です

 

Googleマップ

コメント

  1. ネコシバ より:

    こんばんわ!
    凄い所に作られたお寺ですね~
    遠目には小さな清水寺にも見えます。

    長野はもうずいぶん行ってません。
    以前東京に住んでいたとき、旅行やスキーでよく訪れました。
    善光寺も懐かしいですね。
    素敵な記事ありがとうございます。

    • hanako より:

      ネコシバさん コメント頂きありがとうございます。

      以前は長野県によく来られていたとのこと。
      私は、この夏信州の良さを再発見しているところです。

      「信州に行きたいな」と、思っていただけるような場所を
      ご案内できればと思っております。

      また、是非来てくださいね。

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